「NPO・社会的企業省」創設と「中間労働市場」構築への提言

 現在までの社会的・公益的なサービスの主体者は、行政によるものであった。国は、霞が関を中心とした中央集権的な権限・制度・資金・情報システムを構築して、上位下達の「縦割り組織」の機能を強化・駆使して、長く、地方を先導・誘導してきた。

 


 また、平等で均一で均質なサービスを国民・納税者に提供すべく、非効率で硬直化した多種多様な補助制度を次々に創設して、地域の特性や住民の今日的な要望に合致した、的確・適切な公益的なサービスと評価できない、補助金ばらまき型の「コンクリート型行政」を全国各地で強引に展開してきた。

 


 地方自治体も高額な補助金の「魔力」に負け、地域の誇りや特性、文化・歴史性・自然性、自助努力をないがしろ・犠牲にして、ひたすら、東京・霞が関を見ての陳情合戦に腐心・暴走していった。政治家たちも補助金の地域への誘導、斡旋が、政治の力と誤解・過信して、土建業者や権利集団などとの癒着も含めて、省庁ごとの予算獲得に奔走した。

 


 地域住民・有権者は、行政や政治に一方的に「依存・甘え」、新しい公共施設の建設や道路・河川・農地・公園などの整備を強く望んだ。とにかく、地域の個性や魅力、貴重な自然環境、特異な文化・歴史の重要性を忘れ、置き去りにした。地域住民自らが考え、工夫し、新たな物づくりを担う責務と主体性、自立性を失っていったのだ。

 


 この約50年間にわたる、国民を巻き込んだ国家的な「暴走」の結果、日本は財政破綻と制度疲労の危機に瀕している。約943兆円といわれる国と地方による借金の額。日本のGNPが500兆円とすると比率は、190%近くにもなり、断トツ世界一である。

 


 国の予算92兆円の内、歳入は、毎年44兆円の借金に依存し、歳出は、利子の支払いが毎年22兆円近くにもなり、自前の生産的な自主財源は約50兆円弱位しかない。1964年の東京オリンピック開催時、国家予算の0.1%を借金してから、日本は、お金持ちだとの幻想のもと、現実的な国家財政の中味と身の丈の国家運営のあり方を忘れ、毎年、多大な借金を繰り返し、暴走し、現在、行き場を失った「亡国化」している。

 


 日本は本当に「豊かな国」に成長したのであろうか。この12年間、自殺者数は、3万人を超え続け、昨年は、3.2万人近くになっている。大変不謹慎な書き方ではあるが、今回の東日本大震災の死者が、約2.3万人であることから、これまで、日本では毎年、大震災が発生してきているといえる。その悲劇的で情けない有様が、日本の実態として、日本人自身が実感、認識しているのだろうか。この現実を豊かさと称えるのだろうか。

 


 ちなみに、静岡県では交通事故者数は昨年175人であり、基盤整備を含め、約140億円もの資金が使われている。自殺者数は、昨年で800人であるが、自殺者対策のための資金は、ゼロに近い。行政は、「弱者を救えない、助けられない、対策の必要性も感じていない」納税者の悲しみや苦悩から乖離した別世界の人々といえ、組織存続の意味が脆弱化している。

 


 まさに、高齢者や障害者などの社会的な「弱者」を支え、救えない貧しい国に成り下がってしまっている。人を大切にせず、人の心の病を救えない、防止し、対策し、改善し、発生を防ぐ的確な公益的なサービスも充分に提供できない。国民目線の人間的なサービスの提供に、制度的にも資金的にも組織的にも、能力的にも「限界」をむかえているといえる。

 


 今後、行政がこの難局を打破、改善できる手段・道筋は、「増税」しか残されていない。膨大な借金を次世代に残し、さらに、消費税を含めて、さらなる増税を国民に強いる政治の安易さと政策、大胆な歳出カットや人件費の削減策、NPO・社会的企業の活用政策などもなく、一方的に国民に、その責任を押し付けてきている。何たる「無策」であろうか。

 


 今こそ、「NPO・社会的企業」との協働の役割分担を国家的な仕組みづくりの中に取り込むべきである。NPO・社会的企業は、弱者目線できめの細かい人間的なサービスを提供できる、行政の良き「パートナー」である。行政の補完的、下請け的な団体ではない。

 


 英国においては、公益的サービスを提供する「行政」と私益的サービスを提供する「企業」に重なり、中間的な位置に、「NPO・社会的企業」が人間的なサービスの提供者として存在し、行政や企業では、法律や利潤上で対応しきれない多様なサービスを供給し、雇用の場や経済的資金循環を含めて、「中間労働市場」を形成している。

 

 

 

 

 この中間労働市場は、約700万人もの労働人口を抱え、その60%は女性の職場であり、若者と高齢者の職場でもある。市民バンク的な銀行も存在し、投資家にアプローチして資金を集め、NPOや社会的企業に投資して、その活動を支え、また、企業の社会貢献活動の一面も担う。国は、これらの法人の活動を保証・担保し、利子補給を行うなど、間接的な支援を担う。

 


 無償と善意の活動が前提となる日本との決定的な違いとしてと、NPO・社会的企業は、有償とビジネスを前提・重視した、「市民企業・会社」であることだ。NPOの世界で職員として生活ができる前提条件が整っている。NPOで働く人々は、すべて、多様な分野のプロ集団であり、専門性が求められる。人に喜ばれ、自分のふるさとで弱者のための創造的・善意の活動が、生活が保障された立派な「仕事」「雇用の場」として成り立っている。

 


 日本においても、NPO・社会的企業の可能性と潜在能力を評価し、マネジメントとビジネスの力を持った人材育成に注目して、重点的・継続的な予算をつけるべきである。英国では、サッチャー政権とブレア政権の25年間に、45万団体のボランティアセクターを育成して、行政にかわる「新たな公共」の役割を分担してもらい、国民的にも高い評価を得ている。

 


 国が一元的、独占的に、公益的な事業を企画・執行するのではなく、地域密着の人間的なサービスは、NPO・社会的企業のアイデアと行動力に任せ、国はその評価のみを担当し、効率的な資金運用に徹するべきである。NPOの育成と支援が、巨大な雇用の場の創設につながり、社会的企業の拡大が疲弊・停滞した地方経済の牽引役として、「小さな産業」を誘発するきっかけづくりとなる。

 


 NPOの税制優遇やNPO法の緩和は、その場しのぎの対策である。現在の国の事業のあり方、役割分担を大胆に見直し、「NPO・社会的企業庁」などの創設を念頭に、NPO関係の業務、窓口を一元管理する新たな組織構築への大胆な再編整備・強化が求められている。そうなれば、国における各種事業の移管・委託が、行政にかわる新たなる公益的サービスの担い手の育成と新たな中間労働市場の形成に、確実に連動・発展していく。

 


 国は、財政難を理由に公益的なサービスを一方的に削減することは責任上難しい。まさに、行政にかわる、次なる担い手を確実に育成して、「バトンタッチ」をしていかなくては、今の閉塞感と行政の機能の限界は打破できない。

 


 そのためには、英国のように、国が、NPO・社会的企業を資金的・制度的に全面支援して、新たなパートナーとしての政策能力、執行能力、キャパシティ・ビルディングの向上に努めなくてはならない。

 


 今回、グラウンドワーク三島として取り組んだ、内閣府の「地域社会雇用創造事業」は、まさに、この理念とねらいに的確に沿うものであり、参加したNPOの皆様からの高い評価と事業継続に多くの要望を受けている。今後、平成24年度以降の本事業の継続を実現すべく、懸命の努力を続けていくことをお約束する。

 

 

 

2011/9/25 15:00 ( メイン )
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