源兵衛川の再生ドラマは「生きた社会学」を学ぶ最前線だ!

2010/9/6 9:44 投稿者:  yhonda

 今年は、例年になく異常な暑さが続くが、三島では、もう一つの驚きの現象が起きている。とにかく、富士山からの湧水量が例年に比べて異常に多く、楽寿園・小浜池や菰池公園、白滝公園、三島梅花藻の里、境川・清住緑地、雷井戸など、市内にある代表的な湧水池では、清冽な湧水が大量に湧き出している。

 

 源兵衛川にも多くの湧水が流れ下り、川の中を散策できる「水の散歩道」は、あまりの湧水の多さに、一時、歩道部が水没する騒ぎも起きた。また、普段は、湧水が枯渇し、醜く池底を晒している楽寿薗・小浜池やせりの瀬、はやの瀬、中の瀬にも、湧水が噴出し、素晴らしい水辺空間を形成している。

 

 多分、この現象は、6年ぶりであり、春先からの積雪量の多さとその後の夏季の集中豪雨などの要因による降水量の多さに起因していると想定される。積雪は、干ばつ期にゆっくりと時間をかけて雨水を地下に浸透させ、また、集中豪雨的な降水は急激に地下水位の上昇を発生させる。

 

 三島では、富士山からの湧水は、大体、3か月位で下流の三島に流れ着く、浸透してくると考えている人が多い。何十年もかかり、流れているとの長期流動説も信じられているが、三島っ子は、短期流動説を信じている人が多いと思う。証拠としては、富士山の湧水には、多くの溶存酸素が含まれており、水が新鮮でみずみずしく、大変に冷たく、美味しい。

 

 これらの要因同士の複雑な関わり合いによって、昨今では起こり得ない、水位上昇を誘発させている。このことにより、「水の都・三島」の原風景・原体験が再生、復活している。源兵衛川には、多くの市民や親子が涼を求めて集まり、子どもたちの川遊びの姿が数多く散見される。

 

 川遊びに興ずる子どもたちの歓声が、水辺周辺の緑の回廊にこだまし、源兵衛橋の欄干から水中に飛び込む水しぶきの音が、水辺に響き渡っている。子どもたちの目は輝き、清冽な湧水の冷たさに震えながらも、何回ものダイビングを繰り返している。まさに、水遊びの楽しさと醍醐味に陶酔している姿であり、私の子どもの頃の思い出にも重なる記憶、風景といえる。

 

 この素晴らしい源兵衛川が、今から12年以前は、ゴミが放置され、雑排水が垂れ流され、悪臭を放つ、汚れた川であったことを、現在では、想像することもできない。今、遊んでいる人々のどれ位の人々が、25年近くもの長い間、源兵衛川が汚れた川だった事実と再生への戦いの経過を知っているのだろうか。

 

 私としては、特別に源兵衛川の水辺再生への先験的な取り組みについて、どうこう、偉そうに説明するつもりはない。とにかく、このような豊かな自然環境の中で、五感を通して、自然の素晴らしさや楽しさ、そして、怖さや不思議を実感してもらえばいいと考えているし、生態学などの専門的知識も特別に知る必要もないと考えている。

 

 私も、子どもの頃、同様の豊かな自然環境の中から、自然と人間が共生していくためのさまざまな知識やルールを先輩や古老から学んだ。上流に住む人々の義務と責任として、「川にはゴミを捨ててはいけない、小便をしてはいけない、汚してはいけない」などの規範を身につけた。

 

 また、川遊びのルールとして、「冷たいので5分以上は川の中に連続的にいてはいけない、体が熱い時に急に飛び込んではいけない、長く泳いでいてはいけない、時々道路上で体を温めてから泳がなければいけない、友達がどこにいるかを意識して遊ばなくてはいけない」などを学んだ。しかし、現実的には、川遊びに夢中になり過ぎで、このルールを忘れ、結果的には、小学校時代に、3人の友達を心臓麻痺や溺死で失った。

 

 川遊びを通して、自然の怖さや社会のルールの大切さ、目上の助言の重要性を理解した。世の中は、一人では生きていくこはできず、社会のルールや世の中の規範を守らないと死んでしまう恐ろしさを学んだ。

 

 まさに、豊かな自然環境の中で、子ともたちが遊び、触れ合うことは、道徳心の育成や社会教育、道徳教育、環境教育などを、「現場体験」を通して、肌と感性で学ぶことになり、教室での専門的な知識の習得を超えた、「実践教育」といえる。三島の源兵衛川には、その生きた、楽しい、質の高い「教育素材・教材」が多様に存在している。

 

 水辺の体験を通して、子ともたち、自らが、自発的、主体的に、自然と共生していく方法を学んでいくことを期待している。今後、彼らは、当然、自然や人間を大切にする、心豊かな、優しい、大人に成長していくだろうし、ゴミを拾う人になっていくと思う。また、ふるさとの自然環境が傷つけば、その保護・保全に、勇気を持って立ち上がり、諸般の抵抗勢力と戦っていく、市民活動家に成長してくれると思う。

 

 教育にとって重要なことは、理論や専門的な知識の習得だけではなく、特に、社会学的な学問にとっては、いかに、社会の現実や実態を学ぶことができる、生きた現場・フィールドを確保・連携しているかにあると思う。

 

 私も、現在、都留文科大学において、社会学科に属しているが、自分が関わっているグラウンドワーク三島の多様な活動現場に、年間、100人近くの学生を呼び込み、インターンシップや卒論作成などを含めて、社会学的な意味あいの「実践学・現場学」を教えている。

 

 現在と過去の源兵衛川の水辺環境の比較対象は、まさに、市民力と地域力を結集させた、NPOやボランティアの潜在的な力や能力を研究するための絶好の調査地区だと思う。人々の心を変え、環境改善の具体的な行動に誘導した、先進的なまちづくりの手法とノウハウを、素晴らしい水辺環境の中で、学べる地区は全国的にも、少ないのではないかと思う。

 

 現在までの約20年間にわたり、源兵衛川の水辺再生の戦いに、執念深く、懲りずに、関わってきた、私としては、今のとんでもない源兵衛川の美しさに自己陶酔している。現在、大きな仕事を抱え、多種多様な問題が重層的に襲いかかってきているが、疲れたら、私の市民活動の原点でもある、源兵衛川に行き、足を濡らしながら、元気とやる気を取り戻している。

 

 今後、松毛川の河畔林の再生活動などを通して、「第2、第3の源兵衛川」を創造していくことによって、「生きた社会学」の学習の場や子どもたちへの「生きた遊び場」の提供を進めていきたいと意欲を燃やしている。

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