仕事とは「人生修業」なり。

2010/8/30 9:44 投稿者:  yhonda

 毎日、とにかく暑い日が続く。グラウンドワーク三島では、土曜日や日曜日を中心に、ボランティアやインストラクターの皆様の協力・支援を受けて、さまざまな現場において、多様な実践活動を展開している。

 

 例えば、最近、農業関係では、耕作放棄地を活用した箱根西麓の農地において、そばの種を植えた。また、三島市の最南端に位置する御園地区の農地においては、大豆と薬草のミシマサイコを植えた。地域住民やキヤノンの職員さんの応援も受けて、灼熱の最中、熱中症にも負けずに、懸命な作業が続けられた。

 

 だが、これらの農業作業に伴う最大の課題が、日頃の草取りなどの日常的な管理作業である。農業の楽しさや面白味は、さまざまな報道を通してPRされているが、その足元・日常性の裏に隠されている農家の苦労は、半端なものではない。

 

 小さな自宅の庭の芝生の管理すらできない私だが、何千平米もの広大な農地の管理作業には、時々参加をしているが、作業後は、疲れ果て、その日の夜は何もできなくなってしまう。グラウンドワーク三島としても、農業再生への挑戦を続けているが、その活動の継続性の担保には、多くの苦労が伴い、人材の確保を含めて、大きな課題を抱えている。

 

 現在、元農協に勤務していた方に、グラウンドワーク三島の農業アドバイザーに就任していただき、農作業の段取りや肥料・農薬の散布方法、農機具の使い方などについて指導いただいている。

 

 これらの作業を直接的な担当にしている職員は、地域活動に関わるメンバーたちであり、日頃の内業とともに、現場での外業もこなさなくてはならず、大変な業務を強いられていると思う。

 

 しかし、これらの業務を問題なくこなしていくことが、現在のグラウンドワーク三島の職員の仕事であり、どのような方法や支援体制を整えれば、仕事が円滑に遂行できるようになるのかを、自発的・主体的に創意工夫していくことが、任せられている仕事だと思う。

 

 当然、全国活動に関わる職員には、地域活動の職員とは違う、主たる仕事が課せられているので、日常的な範囲での支援を期待することはできない。限られた人材と支援者を前提条件として、より以上の仕事を展開するためには、今、何が求められているのかを的確に判断し、課題解決の工夫や対応を迅速に処理していく、独自の能力と行動力が必要とされている。

 

 いつも、仕事を受け身の立場、使われている立場で考え、何事にも対応していると、日常的な活動の中で発生する小さな課題(今後、大きな課題に増幅・変身していく課題)に対して、的確で迅速な事前の対応が取れなくなってしまう。

 

 このような逃げの姿勢では、もしも仕事を変えても、同様の課題が再度、襲いかかってきた時に、また、逃げの姿勢を繰り返すことになり、現実的な「課題解決力」を永遠に身につけることはできず、真の「仕事人」にはなれない。

 

 懸命に支援してくれる関係者の真意や意向を汲み取り、その是非を判断し、より多くの情報収集を実施することにより、的確な処理方法や対応方法を見つけ出していく必要がある。また、新たな支援体制の構築を模索し、そのための取組みを工夫し、組織的・資金的な合意形成を図るとともに、長期的な計画のもと、戦略的に着実に課題解決に向けた取組みを推進していくことだ。

 

 このようなやや難しい対応方法が、関係職員との度重なる議論を踏まえて、職員一人一人の問題意識や具体的な行動形態として、提案、実現できるものであろうか?NPO組織に勤務する職員であろうとも、企業や行政に勤務する職員であろうとも、任せられた仕事に対する取組み姿勢や具体的な対応姿勢は、同様のものだと思う。

 

 多様な支援者や関係者との議論、会話を通して、自分の意見が理解されず、相手も現実の実情や困難性を無視した不条理な意見を激しく述べた時に、冷静に対応して、今後の仕事の中において、さらなる解決への取組みを的確に判断・処理できる能力を養うことができるのだろうか。

 

 とにかく、まずは我慢することが先決である。一時の感情的な考え方や行動は、将来的には、大きな間違いと禍根を残すことになる。ひたすら、相手の批判や罵声、意見を耐えて聞き、自分の今までの対応姿勢を総合評価した後、その問題点を探りだし、改善に向けた努力を着実に継続していくしか、根本的な解決方策はないと考えている。

 

 私も、今回の地域社会雇用創造事業に責任者・考案者として、ど真ん中に位置し、関わっているが、こんなにもの多くの苦労や心労が、繰り返し発生するものなのかと、つくづく嫌気がさしている。やはり、現実的にお金が関わると、より以上に事柄が難しくなり、単純な事柄も混迷を極める。

 

 以前、仕事で静岡県の空港対策課に勤務して、5年間にわたり、用地交渉や生活生業対策に関わってきたが、その時も、同じような心労と嫌気を感じた。しかし、その時は、とにかく誠心誠意、相手の意見を聞き、多様で創造的な県としての代替農地対策を立案・実施することにより、最終的には難局を乗り越えてきた。今では、昆尾地区・切山地区など、150haにもわたる農地開発地区が完成して、近代的な農業経営が空港との共存により営まれている。

 

 次々に課題や問題が発生する仕事とは、「人生修業」の道だと思う。山にこもる修験道と同じであり、修業の現場が「娑婆」であり、お金をもらえて人生トレーニングできる格好の「大人の学校」ともいえる。こんな素敵な条件で日々の仕事ができる幸福に感謝すべきだとも思う。

 

 いろいろな立場で日々の仕事に頑張っている人々は、世の中にたくさんいると思う。しかし、現実的な仕事をこなすことは当然大切なことだが、仕事の中から発生した課題や気がついた改善点などに対しても、さらなる、挑戦や取組みへの積極性が求められている。

 

 仕事とは、自分の個性や考え方を表現する「踊り場」だ。難局への課題解決力を育成して、取組み経過の中から、より強靭な忍耐力や判断力、行動力が磨かれていく。単純で同様の繰り返しの中からは、創造的でワクワクするモチベーションは生まれてこない。冷静にして、戦略的な対応姿勢や考え方の中から、心と思考の訓練がなされ、人間は真の仕事人に成長していくものだと思う。

 

 仕事とは、ご飯を食べていくためのものだけでなく、人間としての人格形成や地域社会の変革者としての社会的使命も課せられている。大きな視点と目標をもって、日々、単純で嫌気のさす仕事だとは思うが、真剣に仕事に取り組んで行ってもらいたい。

 

 私も、本日からのグラウンドワーク・インターンシップ研修の補講に、淡々と対応したいと考えている。また、秋の収穫を楽しみに、維持管理の難しさを抱えた耕作放棄地対策に、淡々と取り組んでいきたいと意気込んでいる。

 

 まだまだ、いろいろと課題発生が続くとは思うが、痛風発症の潜在的な恐怖心を振り払い、美味しいビールが飲めるように、今後とも、多様な課題に取り組んでいくのかなあ?取組んでいきます。かな。

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