緒明實名誉会長への惜別のメッセージ

2013/3/3 15:00 投稿者:  gwmishima

 平成25年2月28日夕方、緒明實名誉会長が亡くなった。誕生日にお花を届けさせていただいた時は、元気にお礼の返事があったと聞いていたので、その急激な容体の変化に驚いた。

 

 緒明さんの死は、本当に悔しくて、悲しくて、辛くて、寂しい。私たちの市民活動の基盤、精神的支柱であり、羅針盤でもあった。活動のいろいろで迷い、疲れた時、絶妙のタイミングで「やっこ寿司」での飲み会のお誘い電話を受けてきた。

 

 特に、具体的な内容で本会の課題や問題を聞き出そうとするわけでもなく、さりげない語りがけの中で、私たちの心労と葛藤を敏感・的確に感じ取り、美味しい摘みと勢いのいい緒明節が部屋に響き、次なる挑戦への元気と勇気、新たな知恵を授かった。

 

 緒明さんは本当に物事に謙虚で名誉欲のない飾らない人だった。「とにかく物事は議論より、いかにして具体的な地域課題に取り組み、わかりやすい納得できる成果・実績を残せるかで決まる。その蓄積が、地域住民や市民、NPO、行政、支援企業の信頼を醸成し、次なる活動の次なる強固な活動・組織基盤を創っていけるものだ」と力説なさり、活動の理念と方向性への示唆をいただいた。

 

 お酒を飲んでいる時は、本当に楽しそうで、よく昔話に花を咲かせた。しかし、「水の都・三島」の環境再生と地域再生には、並々ならぬ問題意識を持たれ、ご自身の所有地でもある楽寿園や白滝公園の土地の利活用と保護保全について積極的な提案・意見を熱く語られていた。

 

 「三島の街の永久的な財産・資源は、水と緑と環境だ。この魅力あふれる資源を、今の人たちが生かせなくては、時代を引き継いでいく世代として社会的な責任を果たしていない」「個人としての仕事ばかりに専念するのではなくて、社会人としての責任と義務とは何か、もっと大きな視点で物事に取り組む感性と問題意識を持つ必要がある」と、当時、30代、40代の私たち街の仕掛け屋に対して檄を飛ばしていた。

 

 いろいろな現場や視察旅行に行った。長良川では、台風の影響で閑散としたホテルの宴会場でキャンセルになった芸者さんと興じ、緒明さんの人間国宝的な宴会芸を始めて見せていただき、仲間とともにその多彩さと粋に驚嘆した。

 

 国分寺市のお鷹の池や武蔵野市の親水公園などの視察も同行していただき、帰りのバスで「おいジャンボ君、今はもう御託ばかりを言っている段階ではないぞ、そろそろエンジン全開で具体的な事業に取り掛かれ」とはっぱをかけられた。

 

 本当に物事の本質を見抜く洞察力や今、何をしなくてはならないのかの適切な判断力に優れたリーダーだった。やや物事に対して暴走気味の私に対しても、厳しく指導するわけでもなく、無視・批判するわけでもなく、大局的視点・観点から的を得た納得できる助言をいくつもいただいていた。

 

 「ジャンボ君、今回のグラウンドワーク三島としての革新的なアプローチは、戦略性が大事だ。とにかく、高度に多角的に頭を使いなさい。人間生きている時しか頭は使えない。自分の頭を精一杯使っても金はかからない。他人に迷惑をかけない。新幹線の通勤途上も含めて三島をどうしたら再生できるのか実効性の高いアクションプランをわかりやすく策定しなさい」と指導を受けた。

 

 今は、私も講演会などで、「今後の街づくりに必要な考え方は、長期的な視点に立脚した戦略的なアプローチだ」などと偉そうに力説しているが、そのアイデアは緒明さんから教示を受けたものだ。

 

 三島ゆうすい会やグラウンドワーク三島の活動を始めようとした時、最も悩んだのが、活動の理念づくりと具体的な活動内容であった。その時、緒明さんは、短い言葉で、そして、柔らかい優しい励ましの言葉で、大切な活動と組織の「礎」とは何かを明確に教えていただいた。

 

 もうすでに緒明さんとは、20年以上の付き合いになる。今、惜別の悲しい現実を踏まえ、私たちの活動の発展にとって、いかに大きな存在であったかを、まざまざと実感している。今でも、今までも多種多様な困難や多くの批判や中傷を受け、誤解や乖離もあった。

 

 ここまで何故、耐え、乗り越えてこられたのかを冷静に考えた時、緒明さんのあのクールな上品で品格にあふれた優しい笑顔と勢いのある元気な言葉が、強い後押しになって、ここまでこられたのかなと今さらながら実感している。
 
 よく考えてみると、緒明さんに三島ゆうすい会の会長職をお願いしたのが、70歳頃だった。その後、グラウンドワーク三島の理事長職を20年お願いし、享年93歳で亡くなられた。今、私は62歳。私たちの仲間の多くも70歳前だ。

 

 これでは、市民活動を20年近く、関わってきて、年だからバトンタッチだとは言えないなと反省している。緒明さんは、「右手にスコップ、左手に缶ビール」の合言葉が大好きで、「東壱町田でのみどり野ふれあいの園の造成工事への参加、三島梅花藻の里での水神さんの遷座の式の取り仕切り、復活させた腰切不動産の例祭への参加」など、あの現場大好きな緒明さんの生き生きとした姿が忘れられない。

 

 この3月16日、17日に、グラウンドワーク三島設立20周年の記念シンポジウムが開催される。ここでの関係者の様子や成果を緒明さんに伝え、喜んでいただくことを楽しみにしていた。しかし、残念ながら、その事実は果たせない。本会の重鎮と精神的支柱を失い、今後への不安は絶えない。

 

 しかし、緒明さんからよく指導されたことがある。「前進・発展も大切だが、活動と組織の足元を大切にしなさい。グラウンドワーク三島の原点・理念を忘れてはいけない。地道な地域に根差した草の根の活動を真摯に続けなさい。お世話になっている、きた人々の思いを大切にして常に心に留めておきなさい」だ。

 

 今、緒明さんに深く哀悼の意を表するととともに、「水の都・三島」のさらなる付加価値創造のための多様な市民活動を力強く推進することを誓うとともに、多くの教示を忘れず、地道な努力を続けることをあわせ誓わせていただく。

 

 本当にお世話になりました。緒明さんの年まで健康に配慮し、美味しいお酒を飲みながら、仲間とともにスコップを持って現場に立ち、次なる世代の人材育成にも取り組み、グローバルの視点も持ち、いろいろに生き生きと頑張ります。

 

 

 

(みどり野ふれあいの園整備作業で汗を流す緒明實名誉会長)

 

(2002年全国グラウンドワークサミットにて、登壇者の皆様と)

 

(平成15年賀詞交歓会にて)

 

(地方自治法施行50周年記念式典にて)

 

 

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緒明實名誉会長(三島梅花藻の里完成記念式典にて)
緒明實名誉会長(三島梅花藻の里完成記念式典にて)