被災現場で感じた災害対応の脆弱性と心のケアの必要性

 4月1日と2日にわたって、今回の震災で被害を受けた各地の現場を、2トントラック一杯の支援物資を持って、福島県郡山市、伊達市、田村市、いわき市などを訪ねた。2日間での走行距離は、約1300kmにもなり、かなりのハードな行程になった。被災地や避難場所の実態は、テレビなどで放映されている状況とは、かなり異質なものが多く、情報公開の変質性を感じた。

 

 まず、「救援物資」の無駄、混乱、不均衡には驚愕した。ある避難所の物資倉庫には、ある企業から、賞味期限が切れ、さらに消費期限が2日後に迫っている想像を絶する大量のパン類が送られ、山積みになっていた。こんなにも大量のそれも甘いパンを、お茶も十分に飲めない被災者が本当に喜んで食べるのだろうか。

 

 さらに、お団子や和菓子、何千本もの大根、ネギ、ひどいのは花の苗木、使用済の下着類など、まるで、ゴミ捨て場のごとく、一方的に過激に全国各地から輸送されていた。提供している企業や団体、個人は、現場の過不足の物資情報を事前に的確に調べて送ってきているのだろうか。

 

 こんな状況が続くと、今後、一週間以内には、どこの避難所も物資があふれ、結果的には、その多くは、廃棄されてしまうことになるのではないかと心配になった。また驚くべきことに、避難者の数に満たない食材や救援物資は、不公平・不平等になるとの役所側のマニュアルにより、内部的に秘かに処分、廃棄されてしまう場合もあると聞いた。

 

 この問題は、阪神大震災の折にも問題視されたことではあるが、まったく同じ問題が発生しており、改善のための工夫も感じられなかった。失礼だが、不正確で偏った報道に扇動された、「善意の無駄」の実態ではないかとも感じた。

 

 しかし、私たちもこの避難所に物資を運んだが、この物資過多の実態を垣間見て、その場において、多様な情報収集を行い、いまだに、偏った物資不足の問題を抱えている避難所に、80kmもの距離を走り、臨機応変に移送し、大変、喜ばれた。

 

 今後、迅速に支援物資の的確な「配送システム」を確立しなくてはならないし、いくら緊急時だとはいえ、こんな不均衡で不合理な救援物資の物流システムを続けている、政府のお粗末さにあきれた。体系的で全体的な配送システムは、多分、宅急便などの企業にとっては、容易に対応できる能力と機能を持っていると思う。

 

 今後、民間の知恵と仕組みの支援を受け、早急に改善しなくては、政府の無能力により被害を受け、苦しみ、元気を失いかけている被災者を救うことはできない。食糧や生活環境の整備と確保は、人間としての基本的な人権の問題であり、こんな重要な社会的な課題に対して、多くのボランティアに依存している、政府の姿勢や考え方には憤りを感ずる。

 

 次に、「生活資金」に対する、国の対応の不備と対応の遅れの問題である。ある町では、独自に2万円の生活資金の貸付を進めていた。無利子で一年後に返済する制度だった。現実的に家屋や仕事を失った被災者が、一年後に、本当に返却できるのであろうか。返却できなかった場合には、どのようになるのであろうか。今こそ、困窮している町や県に対して、国が緊急的な資金提供を行い、被災者の生活支援・保護を実施すべきだ。

 

 現在、日本赤十字社や中央共同募金会に寄せられた「義援金」は、3日までに計1154億円にも上っている。多くの著名人による多額の寄付を含めて、義援金のほとんどが、この2つの機関に寄付されている。今の生活に困窮し、避難所での配給でしか自分の生活を維持できない被災者が多く存在し、日々、増加しているというのに、緊急的で具体的な救済の手が届かない現実は、一体、今後、どのように改善されていくのであろうか。

 

 阪神大震災の折も、日本赤十字社などには、最終的に、1800億円以上もの義援金が集まった。しかし、現実的に「現金」として被災者に届いたのは、一年後であり、未だ、剰余金があると聞く。役所の制度内、規範で募金を被災者に配分しようとすると、例の公平性、平等性の理屈が優先され、有効利用されない「死に金化」してしまう危険性を感じている。

 

 多くのボランティアが、現在、被災地において多様な支援活動を展開している。日本赤十字社などは、早急に、例えば、「災害救援市民活動助成金制度」などを確立して、これらの機動性と有効性の高い、市民活動を持続的に支えるための直接的な資金提供を早急に進めるべきである。組織内部に蓄積された資金を、自分たちの資金として、その使途を閉塞してしまうのは、募金をしてくれた善意の多くの人々への「背信行為」ではないか。

 

 募金する人々も、日赤などに対して使途と収支の説明責任を要求するべきだし、募金の目的が明確でわかりやすい、地域で活躍し実績を持っている、NPOや災害ボランティア団体への提供を考えるべきだ。お金を集め、提供することが善意の目的ではなく、それが的確・適切に利用されている使途の確認を含めて、始めて、完結・終結するものである。

 

 次に、福島第一原発で自主避難を余儀なくされた人々は、避難生活が20日以上にもなり、今後の見通しの不透明さと合いまって、疲れと不安が高まり、精神的にも肉体的にも疲労が極限に達している。

 

 政府は一方的に原発周辺の30km範囲の地域住民に、自主退避を勧告しておきながら、その後の対応は、それぞれの自治体に依存し、放射能飛散の風評とあいまり、混乱と不安を助長させている。普段通りの生活ができるのに、自宅や地域に帰れず、不自由な避難所での生活は限界を超え始めている。

 

 「原発難民」のための総合的・全体的な避難対策の策定が急務であり、災害ボランティアの意見や提案も参考とし、きめの細かい「心のケア」を含めた細心の対策も必要不可欠となっている。今後の対応や判断、権限を、関係の県や市町村に全面的に「委譲」して、地域特性を含めた現実性の高い緊急的な対策を講ずるべきである。何か、現在の政権の政治力や指導性を鼓舞するための「政治的なパフォーマンス」の懸念を感ずる。

 

 次に、「心のケア」と「持続的な支援活動」の必要性と重要性を感じた。避難所の現状として、長い閉塞環境の中で、小学生たちには多様な精神的な負担がかかり、やや興奮状態の様子だった。子どもたちと風船遊びをしたが、楽しいことには異常に反応していた。気分転換ができず、精神的に混乱しているのではないかと感じた。

 

 また、中学生や高校生には、将来に対する不安感や焦燥感が精神的な大きな重圧になって、元気を失った、虚ろな雰囲気の子どもたち多くを見た。しかし、中には、しっかりとこの厳しい現実を見据え、自分の役割を認識して強く地域で生きて行くと、「覚悟と決意」を力強く語ってくれた高校二年生にも会った。

 

 グラウンドワーク三島は、今回の大震災にあわせて、「子どもを元気に富士山プロジェクト」を立ち上げた。被災児童や親子、家族を伊豆や富士山に招待して、美しい自然や水辺を散策していただき、温かい温泉で英気を養い、心と体を癒していただく活動である。

 

 現地でこの趣旨を説明したが、多くの方々から賛同をいただいた。人と人との心の絆のつながりを通して、持続的に支援のメッセージを送っていきたいと考えている。皆さまのご理解とご協力をお願いする。

2011/4/4 0:00 ( メイン )
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