◆関連新聞記事はこちら
・2019年3月27日東京新聞(ネパールでの日本語教育に協力)
・現地の新聞にも本活動に関する記事が掲載されました。
⇒ネパール新聞記事(PDFファイルが開きます。)
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今回のネパール訪問において、ネパール連邦民主共和国・バクマティカレッジと日本国特定非営利活動法人・グラウンドワーク三島との間で国際交流に関する「協定書」を締結しました。
今後、ネパール日本友好協会の調整のもと、日本語教育、人材育成、短期留学、交換留学、インターンシップ、教育・学術研究、環境科学、文化の国際交流などを推進していきます。具体的には、今回の日本語教育センターで勉強した学生の優秀者を何人か日本に招聘し、本会の環境再生のノウハウや地域協働・パートナーシップによる街づくりの手法など現場力と課題解決力の育成を、三島でのインターンシップを通して学習することを計画しています。
毎年、この短期留学生を増やし、さらに、高校や大学での受講、富士山登山、ホームスティや大学生との活動交流など、日本の生活文化や慣習を学ぶ、人間的な交流機会も増やしたいと考えています。
税金を使っての国際交流ではなく、市民力による日本語を学ぶ「言葉の交流」により人材育成を図る「人への支援」を具体化していきたいと多様なプログラムを予定しています。
これまで本会では、ネパール・トリプバン大学とナーヤアーヤム大学、台湾・雲林科学大学と台南社区大学などとの協定書を締結しています。今後とも国際的な範囲で「人との交流」拡大に取り組んでいきます。
【5日目:4月4日】
昨日・平成31年4月4日午前、ネパール最大のストゥーパ(仏塔)の大震災後の現状を見に行って来ました。この場所はチベット仏教の巡礼地であり、多くの信者が集まり、海外からの観光客を含めて、大変、賑わっていました。
地震の被害は確認できず、マンダラの構造をなす、地・水・火・風・空という宇宙を構成するエネルギーを表しているストゥーパが、四面に描かれているフッダの目とともに凛々しく、壮大に建っていました。
生活が貧しくとも、ネパール人や裸足の子どもたちの目はいきいきと輝いています。信仰心が、精神的な礎となり、忍耐力や超戦力を醸成していて、日常生活の騒音や喧騒、土埃、排気ガス、悪臭の中でも、力強く、エネルギュシュに生きていけるのではないかと感じました。この「草の根の強さ」を日本人は置き忘れていると思いました。
私も心強くして、この場所の強い気をもらい、また、多様な活動に挑戦していこうと決意しました。
【4日目:4月3日】
本日・平成31年4月3日の午前は、「日本語教育センター」の開校について、ネパールのテレビ局と新聞の取材を受けました。今後、ドキュメンタリー番組を制作して、私たちの教育事業をロングスパンで追跡取材、報道するようです。
午後は、古都「パタン」に行き、大震災後の復旧状況を確認に行ってきました。激しく崩壊・倒壊した歴史的な建造物は、いくつか復旧されており、昔の見事な寺院郡の姿を取り戻しつつあるなと感じました。特にこの地区は、日本による資金援助と文化的施設の復旧指導により、的確・確実に再生されているなと確信しました。
しかし、数千年の歴史を持つ井戸は地下水位の低下が進み、湧水量の減少が激しく、弱弱しく湧水が湧き出していました。爆発的な都市化と開発行為の進行により、地下水が汲み上げられ、カトマンズ市内に点在する井戸や湧水池は、ほとんど湧水量が激変し、地盤沈下や水質汚濁も拡大しています。
私がネパールで成したい仕事の一つは、これらの歴史的・信仰的井戸の復活です。今回の目的の多くが果たせた満足感に酔いながら、反省会の酔いにも、酔いなが今この文章を書いています。さあ、明日は帰国です。金曜日以降、三島周辺がさらに騒がしくなります要注意です。寝ます。
【3日目:4月2日】
本日、ネパールでの「日本語教育センター」開校式が盛大に挙行されました。西郷ネパール日本大使を始めとして、多くの国会議員や教育関係者など、約200人の出席があり、本事業が正式にスタートしました。
私も本講座を受講するメリットに関わり、「日本での高等教育の受講機会の提供、模擬授業の受講、帰国後の起業支援基金の創設による開業支援制度、短期留学や交換留学、インターンシップ、東京・京都視察研修、ホームスティによる日本人との心の交流」などを法被を着て説明しました。
実は今後も、まだまだ問題は山積みです。現在、ネパールで中国は中国語教育を国内各所で広めるために、100人以上の中国語講師を各学校に派遣しています。日本はネパール国内に国派遣の正式な日本語講師は2人しかいません。1人の方は、22年間無償で、日本語教師を担っています。今、日本語教師の資格を持つ学生がネパールで観光ビザで入国し、この学校で教えたら法律違反になり逮捕される危険性があります。
中国は問題なく、日本は日本大使館を含め、大変厳しい法律的な制度を設けて日本への渡航ビザ・就学ビザを未だ発行していません。人材交流が際立った国際交流なのに、その交流の窓口になるべき大使館が、日本に行くビザや日本から日本語教師として入国するビザを発行しません。
今後、私は日本国内において、これらの日本政府の閉鎖的・鎖国的な対応と運用について調整を開始します。日本政府は現実的に何が世界に開かれているのか理解できません。お疲れ様のお酒は心地よい酔いを誘導します。とにかく寝ます。
【2日目:4月1日】
本日、カトマンズで多様な事業関係者との締結・覚書にサインする現場に立会いました。今後のNPO・市民団体にとって、大切なポイントは、国や県など行政による補助金に一方的に依存しない、持続可能な資金確保・資金調達のシステム・仕組みを構築することにあります。
すなわち、個人のボランティア意識を前提とした、献身的・奉仕的な活動には、限界と無理があり、市民の努力と知恵で懸命に創り上げた公園や里山、学校ビオトープなどは持続可能な運営管理システム・市民協働のスタイルを創り上げないと、次第に崩壊・脆弱化していきます。
今回、私がネパールで挑戦しようとする「教育ビジネス」は、はっきりと説明すると、利益が残り、事業の循環性が見通せるから対応しています。資金循環が困難な市民ビジネスは失敗します。
本事業は「教育ビジネス」として、ネパールの今日的・社会的な課題を踏まえ、創業されたものであり、多くの優秀なネパールの若者が日本に来て、日本人と交わることにより、多様な経験知を蓄積・学習・研鑽していくことを目的としています。
さあ明日は、いよいよ宿願の「日本語教育センター」の開校式です。また今夜も楽しい人々と飲みました、疲れました寝ます。
【1日目:3月31日】
平成31年3月31日、いよいよネパールカトマンズで「日本語教育センター」開校についての事務的打ち合わせが始まりました。カトマンズは暖かく、春の訪れを感ずる季節となり、夕方には、激しい春雷と突風の嵐が吹き荒れました。ネパール版の春一番の装いとのことでした。
夜は、カトマンズで日本語学校の講師を勤めているお2人の方や入学希望者、日本語教育文化センターの運営者などが集い、ネパールでの日本語教育の必要性や今日性、社会的需要性、意味・意義、解決しなくてはならない課題などについて真剣な議論が行われました。ネパールからは、年間1900人もの若者が日本に留学しており、年々その数は増加していることも分かりました。
明日から、さらに多様な関係者との話し合いを積み重ねて実効性の高い、ネパールで最初の日本語の高等教育に関わる制度設計について、ロードマップ・アクションプラン・ビジネスプランを練っていきます。やはり、16時間の長旅は老いの身体はこたえます。寝ます。