2017年9月26日(火)、NPO法人グラウンドワーク三島、三島ゆうすい会、源兵衛川を愛する会、21世紀塾、三島ロータリークラブ、公益財団法人佐野美術館の6団体は、豊岡武士三島市長、及び鈴木文子議長・大房正治副議長に対して、楽寿園に隣接した「街の森」を、将来改名する時期に、「緒明(おあき)の森」への名称変更を求める「要望書」を提出しました。
三島市の最も貴重な「財産」は、三島駅南口に広がる自然豊かな歴史ある「楽寿園」です。この楽寿園は、小松宮彰仁親王を経て李王家の所有となった別邸を、昭和2年(1927年)に、緒明圭造氏が当時の三島町の年間予算に相当する金額で一括購入したものです。圭造氏は、明治16年(1883年)に緒明造船所を設立して財を成した緒明菊三郎氏の婿であり、緒明家の邸宅・庭園として長く維持保全されてきました。
昭和27年(1952年)に圭造氏のご息子緒明太郎氏の意思により、現在の楽寿園の敷地面積約7.5ha(東京ドーム約1.6個分)のほとんどを寄付されたようです。今も緒明家の所有地はありますが「水の都・三島」の水源地と緑地帯が、緒明家のご厚情により今まで90年間にわたり大切に守られてきました。
そこでこの度、楽寿園に隣接した「街の森」を、将来改名する時期に、「緒明(おあき)の森」への名称変更の「要望書」を提出したものです。
面談では、要望者から、
・緒明の名は、『鼻緒を作っていたら朝になってしまい、貧しい時代を忘れないように付けた」とのこと。「街の森」はどこでも使える名前なので、「緒明の森」への改名をお願いしたい
・源兵衛川の由来は寺尾源兵衛で説明できるが、楽寿園の由来では緒明さんの名が出てこない
・緒明さんは三島の大恩人だが、その名前はほとんど出てこず、心苦しさがある。「街の森」は緒明家の裏側にあるので、「緒明の森」の名称にふさわしい
・緒明さんの名は一番町では絶大で、多大なご協力をいただいている。緒明さんの名を残したい
・緒明實さんには、グラウンドワーク三島の理事長を、22年間にわたり務めていただいた「鼻緒を作っていたら朝になってしまい、貧しい時代を忘れないように緒明の名を付けた」との話はよく伺っており、家の家訓として今も残っているとのこと。三島の人たちの誇りとして、「緒明の森」への名称変更をお願いしたい
など、「緒明の森」への名称変更に向けた思いを伝えました。
豊岡武士三島市長からは、要望書の提出を受けて、要望者と思いは一緒で、要望の通りさせていただけるように努力していきたいこと、「街の森」の「緒明の森」への名称変更については、将来的に編入できる時期になったら、「緒明の森」に改名できるように努力する旨、回答をいただきました。
また、鈴木文子三島市議会議長からは、縁があって今日三島市民に提供してくださった方への恩や、楽寿園の歴史を語る上で、どこに原点があるのかということはたいへん大事なことである旨、回答をいただいたところです。
「緒明の森」への名称変更の要望書の詳細は、下記PDFファイルをご参照ください。
■要望書(PDFファイル)
1. 「緒明の森」要望書(三島市長宛)
2. 別紙1_「街の森」位置図
地図 |
住所 | 街の森 |